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昭和57年06月23日 月次祭
・・?お供えの中に月次祭たんびんに沢山のあのきれいなお花のお供えを頂きますが、今日のお花が大盛りになって出て参りますときに、どうした事でしょうか、今日のはえらく高くしてありました。あげん高くせんでん、こう横しにこうして置いたらとてもきれいで、あのお供えも晴れるだろうになと私が思うた瞬間、花がぱったと倒れましたでしょう。そしてちょうど私が思うとった通りに花がきれいなとこがぱっと正面に出てわざわざそんなふうにお供えをしたかのようになりましたですね。
私は思うたらそう言う事になった。まぁ親先生は面白い事ばっかり言いなさると、そりゃあなた偶然ですたいと例えばいう人はおかげ頂かれんです。成程親先生が思いなさったらもう早速ね、思いなさった通りにそう言う事になる。私はそれが信じられなければ合楽ではおかげ受けらないと思うです。ね、もうほんとにわたしがそう思うた瞬間でした。あんまり高々こうとしてあるから後ろは見えないし見苦しい。あそこだけ花んとこだけぱっと。普通は大体この位にしてあるとを今日んとはこんなに高々してあった。
そしたらそれがこう倒れたでしょう。だから丁度この花の綺麗所が正面に出て綺麗だったです。ね、だから私がこんな事を申しますと、まっ、成程親先生が思いなさった事を神様がすぐそれに応えなさる、と言う事をね皆さんが信じられなければ、合楽でのおかげは受けられませんです。ね、一番、まっ、端的に申しますならば毎朝の御理解です。ね、三十年間毎日あの教典を開いて皆さんに御理解を聞いてもらいます。
一日だって同じという話はありません。いわゆる前の晩に私が頂いたお夢とか、またご祈念中に頂いたお知らせやらを交えて私が開かせて頂く、ね、そしてそこに御理解何節と言うのがでてきておる。それで私がこことこう頂いたと、この頃はもう目が薄いからご理解何節と言うあの所だけで、あの細かい所は見えません。ね、だから若先生がその御用をしておりますけれども。
はぁ今日はこげなお知らせを頂いたからご理解何節にピッタリだから、それを話そうと言う様な事ではない事は皆さんが毎朝御承知の通りなんです。ね、ですからいうならば、神ながら、神様の働きのまにまに合楽の御理解は日々説かれてあるのですから、その日にお参りをしてきた人がです、ね、その日の御理解をこれは神様が私に下さったんだという頂き方でね、それを信じて頂いたらおかげになるのです。神の言う事は途中で落としてしまい、ね、とこれは今朝からのこれはご理解でした。
有難く頂いて帰ればおかげは船にも車にも積めぬほどの神徳があると仰せられる。それを頂いて行こうとしない。あれが神様のお声だ、あれが神様のお心なのだと信じられたときにそれが、ね、ほんとに神様が私にああ言うておって下さってあるんだから、ね、今日の御理解のごと心に止まった所だけでも頂いて、これを実験させてもらおう、実証させてもらおうという生き方になれば、ね、おかげは、ね、すぐに頂けると仰っていない。おかげは船にも車にも積めぬほどの神徳があると仰ってある。
神徳を頂くと。ね、先生はああ言いなさるけれどもという、とはいやせんけれどもそれと同じじゃないでしょうか。頂いた教えを守らないならば。なら今私が申しました丸っきりうその様なね、まっ、妙なこつを言うというふうに頂く人もあるかもしれませんよね。あぁあれは高いなぁ高すぎ見苦しいな、ね、あれをこう横に置いたら葉がきれいでいいのにと思うた瞬間もう途端でした、花がぱたっと倒れた。そして丁度私が思った通りの形にあの花がお供えに止まった。
親先生が思いなさった事は大した、いわゆる祈りの力というものは大した事だなと。今日は今朝からの研修のときに、私が今朝からの御理解にこれは私の眼力だと、眼の力だと言うふうに申しました。眼力ちゃちょいと名前が悪かねと言う様な話をした事でした。ね、例えば経典がこう開かせて貰ったら、私の言うなら眼の力で、今日はこれとこれだと決まるのです。だからやっぱ眼に頂く力、人間の五感その五感の全てに現れてくる、ね、ご心眼を頂くというのもそうです。
これは心の眼に映るのですけれども、肉眼に映るというのはこれはなんというて例えて言うか知らんけれども、まっ、眼の力だから今朝から私はお話の中に、これは私の眼力だというて、ね。しゅうかくにおいの徳があります。神耳、耳に響いてくるいうならば徳があります。ね、まっ、それぞれのお徳のあらわれですから、まっ、そのけれどもそれを信じなければね、合楽の御理解は毎朝親先生のご神夢、又はお知らせそれをまた先生の眼力のよって定められた。
それを自分の信心体験を通して、お話になるのが合楽の御理解だと分かったらもちっと教えというものを丁重に頂けると言う事になるのではないでしょうかね。ね、神の言うことは途中で落としてしまいじゃなくて、あれが神様が私に下さった御教えであるとして頂いたら、ね、それを言うならば船にも車にも積ん程の神徳にして行くと言う所に私は合楽の信心の値打ちがあると思います。
今日は夕方若先生がひよっと大接間に来てくれと言うから大接間に参りました。そしたらこんなに沢山昔のお初穂袋の裏に一杯何かを書いたものを持って来とります。中には森永ミルクキャラメルの箱ばこう開いてそれに書いたようなものをあります。色々この頃から青年の十五周年の記念の記念出版に信楽という本が、もう立派な本がでけました。それも青年の方たちが前々から話し合って、私がここでそれこそせわしく裏に書いたり、まぁ封筒の裏に書いたり、神様に頂いた事。
また御理解の芯になった事、ちょっちょっと書き止めておるのんが、沢山溜まっておりましたから、是はもう焼き捨ててもいいですよと、いうて下げたものをみんなが見て、これは焼き捨てるだけのものではない、これはもう合楽の宝だと、いうふうにして大事にしておりますのを青年会の方達がそれを見て、それを全部写真に写して何冊かの本になっております。それをそん中から今度の信楽という。もうこれは昨日、今日参っておられます学院の前田さんから電話掛ったんですけれども。
あれを載せて頂いておりましたら、途中でもうもう感動してから泣きだしてしましました。ね、して感動しておる時もう昔知り合いだったある教会で信心なさっておられる方がひよこっり尋ねて見えて、ま、おかげの受けられない様々の悩みを聞かせてもらろうて、もうとにかくいま私はこの御本を読んで、感動しておる所じゃったが、どうぞこれを聞いて下さいてテープをひとつ聞かされたら、もうこんな話は聞いた事がなかったというて感動された。